1972年の「驚愕」と「疑問」

共同通信編集委員 三井 潔

(夕暮れ時にイスラエル側から、がれきと化したガザ北部の街並みを臨む=2025年9月、イスラエル南部)

相次ぐ衝撃的な映像に身震いした。「なぜ、こんなことが起きるのか」。1972年。小学校低学年だった私の記憶は鮮明だ。日本赤軍メンバー3人によるイスラエルの空港での乱射、パレスチナ武装組織のミュンヘン五輪選手村襲撃、イスラエル諜報機関モサドによるパレスチナ人作家で武装組織の広報担当の暗殺。「パレスチナ解放」を巡り、世界を震撼させる大事件が続いていた。私とパレスチナとの最初の接点は、「驚愕」と「疑問」で始まった。

当時は、幼さもあってパレスチナへの理解を深められなかった。高校生の時だったろうか、図書館でガッサーン・カナファーニの名前を目にした。「暗殺された作家だ」。記憶がよみがえり、短編集「ハイファに戻って/太陽の男たち」を手にした。「ハイファに」にひかれた。ホロコーストの被害を受けたユダヤ人の悲劇に触れ、1948年のイスラエル建国によるナクバで故郷を追われたパレスチナ人一家の苦難や幼子との別離、再会が描かれていた。幼子はユダヤ人家庭で育てられイスラエル兵になっていた―。想定を超える展開でパレスチナ難民の悲嘆を活写していた。1972年の記憶は、1948年につながっていった。

記者になり、幼い時の「なぜ」を問う旅が実現したのは2016年。レバノンの首都ベイルートで、空港乱射で唯一生き残った実行犯の岡本公三と会った。「アラブの英雄」「テロリスト」と評価が二分される男だ。事件の動機を尋ねたが、長い拘禁生活で心身を病み、明確な答えは得られなかった。ただ、犠牲者の大半がイスラエルと無関係のプエルトリコ人巡礼者だったことについて初めて謝罪した姿は印象に残った。岡本は今年7月、78歳で亡くなった。

パレスチナの地を踏んだのは2023年6月だった。これまで計半年近く行き来した。ガザ入りはできないが、境界まで何度か迫った。鈍く響くドローンの音、立ち上る空爆の黒煙。眼前に広がるがれきを見て「あそこで連日女性や子どもが殺されているんだ」と思うと胸が詰まった。イスラエル側では、日常生活を楽しむ若者たちの姿があった。出会った多くは「ガザ住民はハマスを支えてきた。当然の報いだ」と多数の民間人の犠牲を容認していた。怒りと憎悪、分離壁で隣人が「不可視化」されていると実感。「破壊されてもガザは私たちの生の証しだ。一日も早く帰りたい」と懇願する避難民一家の姿が浮かんだ。

ヨルダン川西岸各地も回った。ガザと同様圧倒的な力でパレスチナを抑えつけるイスラエル当局、さらに過激な入植者の姿を目の当たりにした。家族が、故郷が、尊厳が奪われる日々。そんな中、非暴力で抗うパレスチナ人と手を差し伸べるユダヤ人、ハマスに家族を殺されながら隣人との対話を模索するユダヤ人たちとの出会いに勇気づけられた。憎しみがあふれる中、共存を模索する動きが広がり、イスラエルの抑圧政策が終わってほしいと願う。

遠い中東の地の紛争を考える意義は何か。現地取材を経て幼い頃の「疑問」は新たな問いに変わった。「人間の尊厳を守るにはどうしたらいいのか」。重く深い問いになった。

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