ハヤートナ(2)「明日」を取り戻す――学びから遊びへ、そして未来へ

イスラエル軍の攻撃によってガザの学校の多くが使えなくなり、残った校舎も避難所となった。子どもたちは長期間、学校に通うことができず、教育を受ける機会を奪われた。学齢期になっても文字を習う機会がなかった子どもや、以前覚えた読み書きを忘れてしまった子どももいた。

こうした子どもたちに学ぶ場所をつくろうと始まったのが、ハヤートナの寺子屋だった。避難所やその周辺で暮らす子どもたちに声をかけると、当初約25人だった参加者は次第に増えていった。子どもたちに勉強を教えていたマイサ先生との出会いから始まり、子どもの増加に伴って、サマール先生、ムハンマド先生、アーヤ先生らも活動に加わった。避難を重ねるなかでも、その先々で教師や協力者と出会い、借りた部屋や破壊された建物、テントを教室にして、読み書きや算数などの授業を続けた。

しかし、寺子屋に必要とされたのは勉強だけではなかった。攻撃や爆発の音におびえ、避難生活を続けてきた子どもたちは、安心して声を出し、体を動かし、友達と遊ぶ時間も失っていた。2025年3月、避難者の流入によってハンユニスの寺子屋に100人を超える子どもが集まるようになると、たまったストレスを発散できるよう、お遊戯会を開いた。

その後、活動の場所がマワシに移ると、ハンユニスで行ったお遊戯会と、ガザ市近郊で続けていた菓子の配布を組み合わせ、放課後おやつクラブを始めた。約150人の子どもたちが集まり、歌い、踊り、体を動かし、おやつを分け合った。

2025年12月に再開したハンユニスの寺子屋でも、子どもたちは先生が黒板に書いた言葉を声をそろえて読み、歌や踊りを楽しんだ。翌年1月には、ハンユニスでも「プチおやつクラブ」を開始した。子どもたちは順番を守りながら、一人ひとつかみのポップコーンを分け合った。わずかなおやつであっても、友達と一緒に食べ、遊べる時間は、子どもたちにとって大切なものとなった。

こうして寺子屋は、文字や計算を学ぶ教室から、子どもたちが集まり、歌い、踊り、遊ぶことのできる居場所へと広がっていった。さらに、安心して友達と過ごせる時間のなかから、互いに将来について話し、「明日」のことを考える場が生まれていった。

寺子屋の活動を始めたムハンマドとマッスーシー自身も、避難生活のなかで「僕たちは殺される順番を待っているだけだ」と話すほど追い詰められていた。そんな二人が、好きな人や将来の結婚について語るうちに、「僕たちも明日があると思っていいの?」と問い始めた。やがて、「自分たちに何ができるか」「子どもたちのために何ができるか」を考え、寺子屋の活動に取り組むようになった。

「明日」を考えるようになった二人にも、その後、新たな困難が起きた。2026年3月、ムハンマドとマッスーシーはガザで強盗団に襲われ、拳銃で殴られ、連れ去られそうになった。二人ともけがを負い、なかでもマッスーシーは立つことができないほどの大けがをして、長い療養生活に入った。医師からは、大好きだったサッカーを再びすることは難しいと告げられた。

それでもマッスーシーは、体を思うように動かせない療養生活のなかで鉛筆を手に取った。そして、戦火のなかで暮らすガザの人々の日常を、猫たちの姿に託した絵を描き始めた。ムハンマドも婚約し、結婚とその先の生活を考えるようになった。強盗事件によって再び大きな困難に直面しながらも、二人はそれぞれの形で、その先にある生活を見つめ続けた。

学ぶことから、友達と遊ぶことへ。そして、明日の自分を思い描くことへ。寺子屋は、教育の機会を失った子どもたちに読み書きを教えるだけでなく、攻撃と避難によって奪われた日常を少しずつ取り戻し、子どもや若者が未来を考えるための場所へと発展していった。 

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